ミヤシロブルボン活躍の記録

前ページ次ページ目次へ

4.復帰

どうしているの、ブルボン...

年末にミヤシロブルボンが美浦山田要一厩舎に転厩するということを聞いてからというもの毎週競馬ブックとのにらめっこが続いた。ミヤシロブルボンは公営で8戦5勝。換算すると本賞金1,570万円だから手(いや、足か)を上げさえすれば間違いなく皐月賞に出走できるのである。

2月

:「年末に川崎で出走した時は体重が減っていたけれど1ヶ月もすれば回復するよ。2月15日の共同通信杯4歳ステークスは1,800mと手頃な距離だし、そろそろ出走してくるかな。」と少し期待はしたが出走はせず。まだ焦りは感じていない。

3月

:「3月8日は弥生賞だ。芝2,000mで皐月賞と同じ距離だし、中山を経験するにはもってこいだ。ここで使っても皐月賞まで中4週間もあるのでちょっと長いかなあ。でも最近はレース間隔を開けてじっくり戦うのが主流だから。できれば出て欲しいな。」と思っていたがここも出走せず。まだまだ余裕である。

:「3月22日はスプリングステークス。芝1,800mとブルボンにとっては走りやすい距離だろう。ここには絶対出走するだろうな。」と思って特別登録を探したものの、ミヤシロブルボンの名前はない。「えーっ。それじゃあ皐月賞ぶっつけかぁ?」 ここで初めて、ブルボンが年末の痛手からまだ回復していないらしいことに気がついたのであった。新井さんも生産馬とはいえ美浦の状況までは良く分からないのだろうと思って特に問い合わせもしなかった。

4月

いよいよ皐月賞の季節である。ミヤシロブルボンがスプリングステークスに出走しなかったけれど、万が一もあるかと次の週の毎日杯の登録もチェックしたが、むなしい作業であった。世間では、セイウンスカイだ、キングヘイローだ、スペシャルウィークだと騒がしい。競馬紙を見ながらも私にはそこにミヤシロブルボンの名前がないことがこの上なく空しいのであった。皐月賞は皆さんご存知の通りセイウンスカイの逃げ切り勝ち。去年のサニーブライアンの再現のようだった。

5月

来月はダービーだ。トライアルは青葉賞(5/9)、プリンシパルステークス(5/16)である。いずれもミヤシロブルボンは登録なし。いくらなんでもダービーにぶっつけで出るはずがない。ダービーもあきらめた。父ミホノブルボンであり長距離は向かないであろうミヤシロブルボンが菊花賞に出るはずがない。やはりクラシックに出るのは難しいものだ。プリンシパルステークス未登録時点では完全に諦めていた。

ところがダービー2週前の月曜日の競馬ブックを何気なく覗くと、なんと登録馬にミヤシロブルボンの名前があるではないか。賞金も十分に足りる。

:「ブルボンがダービーに出る!!!*_*」

我が家に激震が走る。早速、新井さんにことの次第を確かめに電話をする。

:「新井さん!やりましたね!ダービーに登録されてますね!応援に行きますよ!」

:「いやぁ、まだ分からん。出られるかどうかはわからん」

:「何言ってるんですか。ちゃんと登録されてあるし、賞金も十分ですよ」

:「いやあ。わからん。なにがあるかわからんから。登録はあっても出るかどうかはわからん」

新井さんは慎重居士であった。新井家全員そうであった。考えてみれば、30数年牧場をやってきてクラシックに出る、それもダービーに出る可能性のある馬を送り出したのは初めてである。馬の世界に絶対はないのを良く知っているのも新井さんご自身である。馬は調教中にいつ故障するかもしれない。いつ屈腱炎になるかもわからない。ましてや、ダービーに出られる馬をこの次何年後に出せるかもわからない。毎年のように優秀な馬を生産している大牧場ならいざ知らず。もし、故障でダービーに出られなくなったらその喜びが大きいほど、かえって落胆は大きい。出走ゲートに入ってゴールまで戻ってきてはじめてダービーに出走したのだと胸を張って言うことができるのだ。新井さんの慎重さに苦笑いしながらそんなことを考えていた。去年のシルクライトニングの直前除外を思い出していた。

日が経つにつれ新井さんの慎重居士がだんだん筆者にも伝染してきた。5ヶ月休養開けのぶっつけでダービーに勝つなんてできるわけがない。順位は問わないから、ただ無事に走って帰ってきておくれ。これがダービー直前の偽らざる心境であった。

1週間前からスポーツ新聞とグリーンチャンネルのチェックが始まった。新聞各紙はミヤシロブルボンは無印(これは当然)。グリーンチャンネルではトレセンレポートで山田師がインタビューを受けている。重め感はないそうだ。他馬を怖がるところがあるとか。それがレースに出なければよいのだが。まあ次につながるレースをして欲しい。調教ではダービーの調教ゼッケン24を付けたブルボンの、首を若干下げぎみの走法が頼もしく感じられた。これに力強さがあれば満点なのだが、4歳では無理というもの。私としては若干太めかなと感じたが、これはブルボンの走り方だろう。ともあれ、ミヤシロブルボンは直前の故障もなくダービーに出走できそうであった。

金曜日は出走枠の確定である。ここまでくればもう出走は間違いない。新井さんに電話をする。ダービー当日は新井さんと水正さんが府中に来られるとのこと。「実は家族全員で行きたいのだけど、牧場にも可愛い馬達がいるのでそうもできない」とは水正さんの奥様の弁。中央競馬では幾らなんでも私は馬主席には入れない。パドックで写真を撮る係りに専念することにする。ダービー終了後の待ち合わせを約束して電話を切った。

 

夢は叶った...

1998年6月7日(第65回東京優駿(ダービー)G1:東京競馬場)

第65回ダービーだ。「下から読んでもダービーだ」はCFでのキムタクのせりふ。これがずばり当たるとは...基本的にゴロ合わせやサインは嫌いだが、数字の組み合わせである以上、それらが当てはまる場合があるのは確かだろう。要はそれらをいつ如何に自分の買い目に応用できるかであり、高配当含みをその線で狙うこともある。今回はブルボンから行くのは決まっているから。6-5本線である。なんだ65回そのままじゃないか。結果はごぞんじのとおり5-16。下から読んで...おっと脱線。

今日の出走メンバー

馬 名 騎手 体重 増減
1 ビルドアップリバー 57 18 加藤 492 +14
2 キングヘイロー 57 2 福永 470 -6
3 タヤスアゲイン 57 7 柴田善 470 -2
4 タイキブライドル 57 4 岡部 460 0
5 スペシャルウィーク 57 1 武豊 468 -8
6 ミヤシロブルボン 57 16 大塚 468 +15
7 シャインポイント 57 17 藤田 446 0
8 エリモソルジャー 57 11 四位 430 +8
9 メジロランバート 57 8 吉田 436 -4
10 センターフレッシュ 57 5 角田 464 +10
11 ミツルリュウホウ 57 10 南井 416 -4
12 セイウンスカイ 57 3 横山典 470 -2
13 エモシオン 57 6 松永幹 438 -12
14 エスパシオ 57 12 後藤 458 -2
15 ダイワスペリアー 57 15 菊沢徳 460 +8
16 ボールドエンペラー 57 14 河内 452 +4
17 ディヴァインライト 57 9 橋本広 458 0
18 クリールサイクロン 57 13 蝦名 434 0

(芝2400m、天候:曇り、馬場:稍重)

ミヤシロブルボン撮影班は朝9時半に府中到着。掲示板とトキノミノル像の中間あたりに席を確保。ダービーまでは忍の1字で各レースの出走馬を観察するだけ。今日は最終10レースにもブレイクショットが出走するので最終レースまで観戦である。最近はメインレースまで残って撮影することはほとんどない。知り合い関係の馬を撮るため1、2レースだけ撮影するとさっさと帰ってしまう。パドックやウィナーズサークルの最前列にレジャーシートを敷いて場所を独占するやつらと争うのがいやになったのだ。で、知らなかったのだが今日は誰もいないレジャーシートを係りの人が排除している。おまけに競馬オヤジがどんどん我々の前のレジャーシートを踏みつけて前に出てくる。カメラ小僧、ギャルと競馬オヤジの力関係が微妙に変わったなと実感した次第。

たくましき歩様 元気です! 明るい厩務員さん

レースは順調に進んでメインのダービー。各馬のパドック入場である。ミヤシロブルボンは6番。スペシャルウィークの後。今日は2人引きで若い調教助手さんと厩務員の方か(?)が手綱を持っている。二人共にこやかに笑っているのが非常に印象的だ。厩舎としてもダービーに出走できることが誇らしいのであろう。ミヤシロブルボンは今回から黄色一色のメンコを着けている。評判のスペシャルウィークは初めて見たけど、何だかあまりぱっとしない。それより1頭後ろのミヤシロブルボンの方が良く見える。入ってきた瞬間はこれはいけると内心ガッツポーズが出たほどである。後ろで競馬の追っかけらしき賑やかなグループが、武だ、福永だと言っていたが、ミヤシロブルボンを見て「あれ。俺何だか6番がばかに良く見えるけどどうしたんだろ」と大笑いしている。

:「ばかもん!ミヤシロブルボンだぞ。当たり前だ!」(筆者)と叫びたいのをじっと我慢するのだった。

パドックを周回するうちにだんだんミヤシロブルボンの様子がおかしくなってきた。ゼッケン下から大汗をかきはじめた。ご存知のとおり今日のような曇りの日にパドックで汗をかくのは不自然である。体力的に異常、または不調のしるしだ。汗はどんどん出てきて白く滴り落ちはじめる。この時点で私は淡い希望をほとんど捨て、あとは無事にゴールまで帰ってきてくれることだけを望んだのであった。騎手騎乗。騎手は今回から大塚騎手。私自身大塚騎手についてあまり良く知らないが、金杯のヒダカハヤトでの逃げ切りを思い出す。戌年の金杯でワンワン(11)馬券だと騒いだ覚えがある。父ミホノブルボン譲りの根性で2400m逃げ切り...なんて事は考えない。

大塚騎手 騎乗姿

レース自体はパドックでぐずぐずしていたおかげで混雑に阻まれてコース前には行けず、後ろの方からかすかに見えただけだった。スタート直後、目の前を黄色いメンコのミヤシロブルボンが集団の後ろを掛けて行ったのだけは見えた。キングヘイローが先頭に立った時に大きなどよめき。福永騎手の不安そうな後ろ姿がターフビジョンに映される。ここでもミヤシロブルボンは後ろの方。ゴールはスペシャルウィークが突き抜けたことはわかった。ミヤシロブルボンの順位はわからず。ターフビジョンで4角後ろの方だったことだけは確認できた。

終わった...

レース後、新井さん、水正さんと再会。二人とも残念そうではない。無事に完走できた事が嬉しかったようだ。ダービーのTシャツを買い込んでいたのは水正さん。このまま北海道に帰るという。川崎や、水沢では厩舎までブルボンに会いに行けたのだが、中央ではそうもいかないのだろうか。なんだか寂しいものだ。

:「残念でしたね。でも無事ゴールできて良かったですね。無事がなによりです」

:「馬は無事にダービーを走ってくれたし、馬券は当たるし、今日は良い日だぁ。ダービーに出走できるなんて夢のようだぁ。生きててよかったぁ」

:「え!当てたんですか?すごいですね(一瞬。何だ生産者のくせして自分の馬を買ってないのかぁとあきれる)」

:「うん。枠で3-8買ったんだぁ。スペシャルウィークが本命だし、あいつのお母さんとブルボンのお母さんは同じ日高大洋牧場の生産馬なんだぁ。だから、枠で買ったんだぁ。8枠は何か気になって後でまた買い足したし、儲かったよ」

:「あちゃー。新井さんそれを最初に言ってくださいよ。(笑い)」そうだ、枠という手があったんだ。

この後、10レース出走のブレイクショットの元気な姿を見て帰途に着いた。帰りは電車で羽田まで。帰りの京王線の中でもダービー、牧場談義に花が開いた。やはり新井さんのような小さな牧場にダービー出走馬が出ることは大変なことらしい。早速、ミヤシロブルボンの兄弟について問い合わせがあったそうだ。また、今後も生産馬があのダービー出走馬の生産牧場だということで高く売れる可能性もあるらしい。良いことずくめでブルボン様様だ。去年までは「周りの牧場では、やれ桜花賞馬ファイトガリバーだ、東京大賞典勝ち馬だと出るのに家の馬は一向に走らない」と嘆いておられたのが嘘のようだ。新井さんは「30数年牧場やってきたけど自分の生産馬がダービーにでるなんて夢のようだぁ。生きてて良かったぁ」と、このあと飛行機に乗るまで何度口にしたことか...

まずはミヤシロブルボン、ご苦労様。

先頭へ戻る前ページ次ページ目次へ